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クサナギシンペイ「エレホン」

Sept. 14 - Oct. 27, 2007

Juanita 4 strong winds Pipeline Alaska Pipeline Alaska
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gallery.sora.では2007年9月14日(金)から10月27日(土)まで、クサナギシンペイ(1973年生まれ)の新作ペインティングを中心とした「エレホン」展を開催致します。

 「エレホン」という展覧会のタイトルは、1872年に発表されたサミュエル・バトラーの同名小説に出てくる架空の王国の名前から拝借した。「エレホン」(EREWHON)は「どこでもない」(NOWHERE)のスペルを逆さにしたアナグラムになっていて、小説の中では、主人公が未踏の山脈を越えて辿り着いた価値逆転の王国として描かれている。そこでは不合理が賞賛され、機械文明を否定し、人々は道徳と同調に生きる。良い機会だからと今回の展覧会のためにもう一度この本を読み返して思ったのは、しかしそんな全く違った価値観の中で暮らすエレホン人も、やはり時間と関係からは逃れられないのかという、物語の本筋とは全く関係がない半ば諦めにも似た思いだった。

 物事は、いつか必ず終わる。誰も同じ場所に留まることは出来ない。どんなに今が楽しくても、どんなに今が苦しくても、時間も環境も友人も恋人もなにもかもすべて、辺りの景色はどんどんと移り変わってゆく。残念ながら、そこに選択の余地はない。それは希望であるが、また等しく絶望でもある。せいぜい僕たちに出来ることといえば、そうして景色が幾度も白く塗りかえられる度に、そこに出来るだけ綺麗な絵を描こうと努力することくらいしかない。どんなに素晴らしい絵を描いても、聴いたことがない旋律を奏でても、じきに塗りつぶされてしまう不毛な消耗。消して忘れたくない大切な思い出も、二度と思い出したくない悪魔のような出来事も、過ぎ去ってしまったら最後、景色は次第に鮮明さを失い、やがてもやのなかに霧散するだろう。あとには、ほとんど何も残らない。僕たちは誰しも、体験としてそれを知っている。

 時間と関係の不可避な濁流に呑み込まれて、木の葉のように弄ばれながら、だからこそいつも留まることだけを夢見てきた。一歩も動くことなく、一点にじっとし続けること。雨が降っても持っている傘を差さないような、そんな端から見れば阿呆にしかみえない行為を通してのみ辿り着ける場所が、きっとどこかにあるのではないか。選べばまたひとつ、流れが生まれる。それを嫌って選んだ「選ばないこと」によって顕現するまた別の流れの中で、その矛盾をただひたすらに呪いながら、それでも想わずにはいられない。幾重にも塗り重ねられた景色と記憶の山脈の果てに、霞みの重なりから偶然に生まれた色相やタッチがお互いを引き立て合って絶妙な共鳴を呼び、やがて交響となって「エレホン/erewhon」を遡る。そうしていつか巡り着くかもしれない「どこでもないどこか/nowhere」のことを。

クサナギシンペイ