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勅使河原 蒼風

© Sogetsu Foundation / Courtesy of Sogetsu Foundation

勅使河原蒼風は華道家・勅使河原久次の長男として1900年に生まれる。幼いときからいけばなの指導を受け、卓越した才能を発揮し注目を集めるが、形式主義的なそれまでのいけばなに疑問を持ち、父と決裂して1927年東京にて草月流を創流。従来のいけばなを大いに逸脱する、戦後の「前衛いけばな運動」を小原豊雲、中川幸夫らとともに主導する。50年代から70年代にかけて、国内はもとより欧米各地でいけばなの展覧会やデモンストレーションを精力的に行う傍ら、多数の彫刻、絵画、書、コラージュ作品を制作。実験工房、アンフォルメル、具体美術協会などの戦後前衛芸術運動とも交流し、息子宏のディレクションのもと草月アートセンターにて「ジョン・ケージとデヴィッド・テュードアのイヴェント」(1962年)や「マース・カニングハム・ダンス・カンパニー」来日公演(1964年)を行うなど、幅広い前衛芸術を日本に紹介する。最晩年まで創作を続け1979年死去。

1950年から勅使河原は、花、花器、水を用いない いけばなとして、鉄の廃材を使用した立体作品を制作し始め、1955年に発表した「樹獣-生きもの」(1955年)からは、使用する素材が徐々に鉄から木へ移行する。また、50年代中頃から木彫の表面に金属を貼る技法を始め、その後この試みは、銅版を木彫の表面になじませながら覆い、剥がして元の形に添って溶接した金属立体作品へと発展する。

50年代に渡米・渡欧を繰り返し、現地で多くの美術作家と交流を重ねた勅使河原は、60年代に入ると自身の原点である「日本」や「伝統」に関心を寄せ、「古事記連作」などの代表作や、多くの書や屏風絵を発表する。作品が後に残らないいけばなと同じ感覚で創作活動を行ったため、勅使河原の作品には題が付されていないものや制作年不詳のものが多い。

主な個展として「勅使河原蒼風-戦後日本を駆け抜けた異色の前衛」世田谷美術館(2001年)、「草月とその時代」芦屋市立美術館・千葉市美術館(1998-99年)、「勅使河原蒼風の彫刻」京都国立近代美術館(1967年)、ハウス・マイ(ケルン、1972年)、ガリエラ美術館(パリ、1971年)、ミドルハイム美術館(アントワープ、1971年)、ベルギー国立美術館パレス・デ・ボザール(ブリュッセル、1966年)、リンカーン・センター(ニューヨーク、1964年)、ガスパール画廊(バルセロナ、1959年)、スタドラー画廊(パリ、1959年、1961年)、マーサ・ジャクソン画廊(ニューヨーク、1959年)、バガテル宮殿(パリ、1955年)などが挙げられる。また国際現代芸術展、グラン・パレ(パリ、1963年)、「自然から芸術へ」パラッツォ・グラッシ(ヴェネツィア、1960年)、「新しい絵画世界展-アンフォルメルと具体」髙島屋(大阪、1958年)、「世界・現代芸術展」ブリヂストン美術館(東京、1957年)、「抽象と幻想<非写実絵画をどう理解するか>」国立近代美術館(東京、1953年)などのグループ展に参加。1962年には芸術選奨文部大臣賞を受賞し、フランス政府よりレジオン・ドヌール勲章シュヴァリエ章(1961年)と芸術文化勲章オフィシエ章(1960年)を受章している。