EXHIBITIONS
勅使河原蒼風
会期: 2019年11月29日(金) – 12月27日(金)
会場: タカ・イシイギャラリー 東京
オープニング・レセプション: 11月29日(金)18:00 – 20:00
タカ・イシイギャラリーは、戦後の日本美術史に大きな足跡を残したいけばな草月流の創設者勅使河原蒼風(1900年-1979年)の個展を開催いたします。本展では、初期の重要作品「汽関車」(1951年)を中心に、50年代から70年代にかけて制作された立体作品群と書を、貴重な資料と合わせて展示いたします。
勅使河原蒼風は華道家・勅使河原和風の長男として1900年に生まれます。幼い頃よりいけばなの指導を受け、卓越した才能を発揮し注目を集めますが、形式主義的なそれまでのいけばなに疑問を持ち、父と決裂して1927年東京にて草月流を創流。従来のいけばなを大きく逸脱する、戦後の「前衛いけばな運動」を小原豊雲、中川幸夫らとともに主導し、空前のいけばなブームを巻き起こしました。
戦前からヨーロッパの美術動向に強い関心を持ち続けてきた勅使河原は、モダンアートの実験精神をいけばなに取り入れるべく、戦後復興期に「散歩」(1951年)や「汽関車」(1951年)など、鉄で制作した花器と植物を組み合わせた作品を制作し、その後花を用いない鉄製の立体作品「群れ」(1953年)を発表します。本作品の制作にあたり勅使河原は、「どんなものを使っても表現できるということを示していく」というメモを残し、鉄や石、木などの素材を花と等価に扱うことで、形骸化した型からいけばなを解放しました。
多くの近代美術作品に触れた52年の初渡米、55年の初渡欧の後、勅使河原は松の根の有機的な形を活かした木彫作品「樹獣」(1955年)を発表します。この作品以降、勅使河原が用いる素材は樹根や樹塊などの木へと移行し、そのスケールは徐々に巨大化。樹齢千年という総重量3トンの藤づるを使用した「いのち」(1956年)、伊勢神宮参宮博覧会のシンボルタワーとして制作した高さ30mのいけばな「摩天」(1958年)、作品タイトルを『古事記』から引用した60年代の代表作「八雲」(1962年)と「ちから」(1963年)など、植物の強靱な生命力を宿した破格のスケールの造形物を次々と発表しました。
いけばなに新たな近代造形性を与えた勅使河原の作品は早くから美術史家や美術作家の注目を集め、50年代初頭から国内外の美術館でのグループ展に参加し、京都国立美術館(1967年)やガリエラ美術館(パリ、1971年)など多くの美術館・ギャラリーで個展を開催しました。なかでも1957年に初来日し、三田教場を訪れたアンフォルメルの理論的推進者ミシェル・タピエは、勅使河原を現代前衛彫刻家の最高の一人として高く評価し、自身がキュレーションした多くの展覧会に勅使河原の作品を加えています。
また勅使河原は、息子宏のディレクションのもと草月アートセンターにて「ジョン・ケージとデヴィッド・テュードアのイヴェント」(1962年)や「マース・カニングハム・ダンス・カンパニー」来日公演(1964年)を行うなど、前衛芸術の庇護者として日本の美術史に大きな影響を与えました。
勅使河原の主な個展として「勅使河原蒼風-戦後日本を駆け抜けた異色の前衛」世田谷美術館(2001年)、「草月とその時代」芦屋市立美術博物館・千葉市美術館(1998-99年)、「勅使河原蒼風遺作展」草月美術館(東京、1981年)、「勅使河原蒼風展<書と彫刻>」西武美術館(東京、1980年)、ハウス・マイ(ケルン、1972年)、ガリエラ美術館(パリ、1971年)、ミドルハイム美術館(アントワープ、1971年)、ボードレイ画廊(パリ、1969年)、「勅使河原蒼風の彫刻」京都国立近代美術館(1967年)、ベルギー国立美術館パレス・デ・ボザール(ブリュッセル、1966年)、リンカーン・センター(ニューヨーク、1964年)、ガスパール画廊(バルセロナ、1959年)、スタドラー画廊(パリ、1959年、1961年)、マーサ・ジャクソン画廊(ニューヨーク、1959年)、バガテル宮殿(パリ、1955年)などが挙げられる。また国際現代芸術展、グラン・パレ(パリ、1963年)、「自然から芸術へ」パラッツォ・グラッシ(ヴェネツィア、1960年)、「新しい絵画世界展-アンフォルメルと具体」髙島屋(大阪、1958年)、「世界・現代芸術展」ブリヂストン美術館(東京、1957年)、「抽象と幻想<非写実絵画をどう理解するか>」国立近代美術館(東京、1953年)などのグループ展に参加。1962年には芸術選奨文部大臣賞を受賞し、フランス政府よりレジオン・ドヌール勲章シュヴァリエ章(1961年)と芸術文化勲章オフィシエ章(1960年)を受章している。
協力:一般財団法人 草月会