EXHIBITIONS
エルヴィン・ボハチュ
会期: 2025年1月25日(土) – 2月22日(土)
会場: タカ・イシイギャラリー 京橋
オープニング・レセプション: 1月25日(土)17:00 – 19:00
タカ・イシイギャラリーは、2025年1月25日(土)から2月22日(土)までエルヴィン・ボハチュの個展を開催いたします。ボハチュはオーストリアの美術、とりわけ抽象画の歴史を先導してきた作家として知られています。日本国内かつ当画廊での初個展となる本展では、近年の作品群から9点の絵画と13点の紙作品を紹介いたします。
ボハチュの作品は具象と抽象、色彩と非色彩、線と表面との狭間を絶え間なく往来しており、それが大きな特徴となっている。彼の仕事は、今なお爆発性を帯びつづける「絵画の時代性」という問いを巡るものだ。最近の作品群において、絵画的領野は異質な要素が混在するマトリックスとして規定される。例えばそこでは、切り詰めた外郭で囲まれた形体が、荒々しい筆致が形成する開放的な領域と遭遇する。何よりも、紙を支持体とするコンパクトな作品群は、新しい経路の可能性を探求する実験場にほかならない。ボハチュはそこで試行した経路を画布の上で実際に施行していくのだ。
フロリアン・シュタイニンガー(アーティスティック・ディレクター、クンストハレ・クレムス)
「エルヴィン・ボハチュ──13点の絵画」展(オーストリア文化フォーラム プラハ)への寄稿文より
ボハチュはその経歴を通じて独自の規範的な道を追究してきました。とはいえ彼の作品には、70年代後半から90年代にかけてオーストリアで展開していたアートの言説との密接な結び付きも見られます。80年代の初めに同国のアートシーンに登場したとき、彼の絵画には所謂「ニュー・ペインティング」のあらゆる特徴が備わっていました。そこでは様々なモチーフが有機的な形状と荒涼とした色彩で描写されていたのです。彼は「ノイエ・マーレライ」(新しい絵画)グループの一員となり、新表現主義の作家として認知されましたが、80年代の終わりまでにはこの潮流から離脱し、抽象的な還元へと足を踏み入れます。その画面からは物語的、具象的、表現的な絵画性が消え去っていたのです。この移行によって開放性と明瞭性への注力が如実となり、やがてそれは彼の成熟期の顕著な様式的特徴となります。
線、形体、色彩、物質性が際立つ近年の作品が例証するのは、純粋主義的なアプローチです。湾曲した色面、精細な線、そして活発な軌跡が組み合わさることで、豊かな緊張と律動を帯びたコンポジションが生み出されます。土色や黒の領野に、緑、黄、青といった明るい色が限定的ながらも効果的に用いられています。ポーリングされ、ナイフで薄く伸ばされた色彩は半透明な層を形成し、空間的な深度の感覚を醸成すると同時に、部分的に重なり合うことで新しい形体を創出します。
複数の空間構造が広がるボハチュの作品は、私たち鑑賞者に、開放的で魅惑的な視覚経験を差し出すのです。
エルヴィン・ボハチュは1951年、オーストリアのシュタイアーマルク州ミュルツツーシュラーク生まれ。1971年から1976年までウィーン美術アカデミーで絵画を学び、現在ウィーンとヴェネチアを拠点として活動。
主な個展に「エルヴィン・ボハチュ」(アルベルティーナ美術館、ウィーン、2016年)、「階調」(シュタイアーマルク州立博物館ヨアネウム ノイエ・ガレリー、グラーツ、2006年)、「直観と形体:エルヴィン・ボハチュとエイドリアン・シース」(プローナー・コレクション、ウィーン、2006年)、「潮流:エルヴィン・ボハチュとマンフレッド・ヴァコルビンガー」(キュッパースミューレ近代美術館、デュースブルク、2006年)、「エルヴィン・ボハチュ」(ルートヴィヒ近代美術館、ウィーン、1999年)など。主なグループ展に「出会いの場所」(エムスデッテン・クンストフェライン、2023年)、「ドローイング・センター・ショー」(ル・コンソーシアム、ディジョン、2022年)、「抽象絵画の今!」(クンストハレ・クレムス、2017年)、「移行する絵画:プローナー・コレクション」(ノイエ・ガレリー・グラーツ、2016年)、「オーストリアの抽象 1960年から現在まで」(アルベルティーナ美術館、ウィーン、2015年)、「自明の絵画!プローナー・コレクション」(オランジェリー、ベルヴェデーレ下宮、ウィーン、2015年)、「自由たる芸術の世紀:ウィーン分離派100年」(セセッション、ウィーン、1998年)、「近年の絵画と彫刻の国際的概観」(ニューヨーク近代美術館、1984年)、「時代精神」(マルティン・グロピウス・バウ、ベルリン、1982年)など。