EXHIBITIONS

奈良原一高 追悼展 「消滅した時間」

会期: 2020年2月29日(土) – 4月4日(土)
会場: タカ・イシイギャラリー フォトグラフィー/フィルム

タカ・イシイギャラリー フォトグラフィー/フィルムは、2月29日(土)から4月4日(土)まで、奈良原一高追悼展「消滅した時間」を開催いたします。1956年に「人間の土地」で鮮烈なデビューを果たし、詩情豊かな「パーソナル・ドキュメント」の表現手法で、日本写真史の新時代を切り開いた奈良原一高(1931-2020)。「写真は未来から突然にやって来る。僕の場合は、いつもそうだった。」と述べ、晩年にはその作品世界を宇宙との対話へと収斂させていきました。本展では、奈良原が時空を越えた独自の視座を確立する上で重要な契機の一つとなった、1970年代のアメリカ滞在中に撮影された作品群「消滅した時間」より、約10点を展示いたします。

 光で時間を刻む写真、その源はもともと宇宙からやって来たものである。僕たちは宇宙から降り注ぐエネルギーの球を、写真というコートに打ち返すテニス・プレイヤーなのだ。
 夢と現実の狭間から生まれる写真には、そのような宇宙の記憶への郷愁が宿っているようだ。僕たちが写真を見返す時、生きる切なさに包まれ、言い知れぬ郷愁の淵にひたるのは、僕たちの存在を超えてしまった“消滅した時間”に出会うからだろう。
 1972年も終わりに近づいた冬の日に、僕は雪の降るニューヨークからフロリダへと向かっていた。月への最後の宇宙船アポロ17号を見送るためだった。12月7日午前0時33分、南国の夜空に突然昇った太陽、その輝きは一瞬にして僕たちの視力を奪う。すさまじい轟音と光、その重なり合った衝撃波が立ちすくむ僕たちを襲い、そしてその衝撃波に押されるように、船はゆっくりと天空へと舞い上がっていった。僕の胸の中には悲鳴にも似た感動が走った。“すごい!人間があそこには乗っているのだ”。
 やがて、その弾道の先から、黒鉛とともに第一弾の噴射管が切り放され、第二段が星のように彼方に灯る。その時、不意に周りから嘆声が沸き上がった。興奮の余波が打ち寄せ、どうしようもなく膝頭がわななき続ける中で、僕は不思議な想いに捉われていた。宇宙飛行士を見送ったはずの自分たちが、逆に彼等からこの地球上に取り残されてしまったのだという実感が芽生え始めたのである。夜空に吐かれた黒煙は、彼等の告別の挨拶のようにさえ見えた。
 この時、僕はこれまでの生涯をかけてたどって来た一切の視野を改めて振り返るような気持ちがした。そこには個人的な視座を通して宇宙的な視野に帰ってゆくという旅の姿があった。足元の草むらのほのかに揺れる輝きから始まるこの地球上の生活、何気ないその世界が急にたまらなく愛おしいものに思えたのである。
 地球が球形のひとつの星であることを示しながら、アポロ17号の軌道は二次元の視界の中をゆっくりと落ちていくように見えた。

奈良原一高
『奈良原一高写真集―時空の鏡―』新潮社、2004年、pp. 130-131

奈良原一高は1931年福岡県生まれ(2020年没)。検事であった父親の転勤に伴い、国内各地で青春期を過ごす。1946年に写真の撮影を始める傍ら、芸術や文学などにも関心を寄せ、1954年に中央大学法学部を卒業後、早稲田大学大学院芸術(美術史)専攻修士課程に入学、1955年には池田満寿夫、靉嘔ら新鋭画家のグループ「実在者」に参加。池田龍雄や河原温といった芸術家や瀧口修造らとも交流を深めると同時に、東松照明、細江英公らとも知り合い、1959年には彼らとともにセルフ・エージェンシー「VIVO」を設立(1961年解散)。その後も、パリ(1962-65年)、ニューヨーク(1970-74年)と拠点を移しながら世界各地を取材し、多数の展覧会を開催。写真集も数多く出版し、国際的にも高い評価を受けている。主な個展に「人間の土地」松島ギャラリー(東京、1956年)、「Ikko Narahara」ヨーロッパ写真美術館(パリ、2002-2003年)、「時空の鏡:シンクロニシティ」東京都写真美術館(2004年)、「王国」東京国立近代美術館(2014-2015年)など。主な受賞に日本写真批評家協会新人賞(1958年)、芸術選奨文部科学大臣賞(1968年)、毎日芸術賞(1968年)、日本写真協会年度賞(1986年)、紫綬褒章(1996年)など。

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