EXHIBITIONS

山本悍右

会期: 2018年6月22日(金) – 8月10日(金)
会場: タカ・イシイギャラリー ニューヨーク
オープニング・レセプション: 6月22日(金)18:00-20:00
夏季営業時間: 11:00-18:00 定休日:土・日・祝祭日

タカ・イシイギャラリー ニューヨークは、6 月 22 日(金)から8 月 10 日(金)まで、山本悍右個展を開催いたします。名古屋を拠点に活動した山本は、1930年代初頭から1980年代にかけて、鋭い社会批評の眼と独自の詩的な感性で前衛的な写真表現を探求し、日本におけるシュルレアリスム写真の先駆者として優れた作品を残しました。脱日常的に配されたオブジェの撮影や素材細部の接写、コラージュやフォトモンタージュなど、その手法は多岐に亘り、1950年代以降には演劇的な連続写真や立体・絵画作品も手がけています。タカ・イシイギャラリー ニューヨークで3度目の個展となる本展では、活動の最初期にあたる1930年代から1970年に制作された写真作品12点を展示いたします。

ダダイスムやバウハウス、新即物主義やシュルレアリスムなど西洋の芸術思想・芸術運動の動向が日本に紹介され、その影響のもとに各芸術分野で前衛的な活動が興る中、1930年より詩作を始めた山本は、日本におけるシュルレアリスムの理論的指導者であった山中散生らの発行する詩誌『CINÉ』などを通じ、モダニズム芸術への関心を深めました。山本が「シュルレアリスムの写真における実践」を目指し写真制作を始めたのは翌 31 年、新興写真の名のもとに日本における近代的写真表現が成立したのと同時期のことであり、同年、小此木光也らと共に写真集団「獨立 寫眞研究會」の創設に携わった若き山本は、新しい写真表現の模索を本格的に開始しました。

機関誌『獨立』の創刊(1931年)や「ナゴヤ・フォトアバンガルド」の結成(1939年)など、名古屋が東京・大阪に次ぐ前衛芸術の拠点となる過程において、時代意思の変革を希求し詩的なイメージの写真への定着を試みた山本の制作は、重要な役割を担っていたと言えます。1940年末から1980年代にかけて、山本は実験的なカラー写真、フォトグラム、連続写真や立体作品など多くの作品を制作し、その内容はより独創的で複雑なものへと変化していきました。西欧のシュルレアリストの図像学と日本的なモチーフや関心を備えた作品群は、単なる西欧の芸術運動の模倣や翻訳とは一線を画しており、随所に先鋭な美的感覚と卓越した空間構成技術が見て取れます。

山本悍右は1914年愛知県生まれ(1987年没)。明治大学仏文科を中退、1930年から詩作を始める。1931 年、「シュルレアリスムの写真における実践」を目指し写真制作を始め、同年、小此木光也らと共に写真集団「獨立寫眞研究會」を名古屋にて結成、新しい写真表現の模索を行う。1937年開催の「海外超現実主義作品展」に触発され、翌年、シュルレアリスム詩誌『夜の噴水』を発行(警察の検閲により1939年第4号にて終刊)。また1938年には、吉武源雄らと写真グループ「青憧社」を結成、機関誌『CARNET BLEU』を刊行する。山中散生、下郷羊雄が中心となって結成された「ナゴヤアバンガルド倶楽部」の写真部会が独立する形で 1939 年に結成された「ナゴヤ・フォトアバンガルド」に参加するも、1940年に同会を離れる(同会は「名古屋写真文化協会」と改称した後、1941年に解散)。1939年に北園克衛が主宰する前衛詩人グループ「VOU」の同人となり、1978年の解散まで『VOU』誌上、『形象展』で詩や作品を発表。1947年、後藤敬一郎、高田皆義、服部義文と前衛写真家集団「VIVI」を結成。1949年には「美術文化協会」の写真部会員となる。1970年に『バタフライ』を刊行。主な個展に「シュルレアリスト山本悍右」東京ステーションギャラリー(2001年)など。主な国際展に「Japan’s Modern Divide: The Photographs of Hiroshi Hamaya and Kansuke Yamamoto」The J. Paul Getty Museum(ロサンゼルス、2013年)など。主な作品収蔵先に名古屋市美術館、東京都写真美術館、Santa Barbara Museum of Art、The J. Paul Getty Museum、The Art Institute of Chicago など。

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