EXHIBITIONS

嶋本昭三・田中敦子

会期: 2017年5月4日(木) – 27日(土)
会場: タカ・イシイギャラリー ニューヨーク
オープニング・レセプション: 5月5日(金)18:00 – 20: 00

タカ・イシイギャラリー ニューヨークは、5月4 日(木)から27日(土)まで、嶋本昭三と田中敦子による二人展を開催いたします。日本の戦後美術史で重要な位置を占める具体美術協会の主要会員として知られる嶋本と田中は、関西を拠点に、日本現代美術界の黎明期における1950年代前半から、それまでの美術の前例に捉われない革新的な作品を発表し国内外で評価を得ました。

戦前より抽象美術を牽引する存在であった吉原治良の主導のもと、美術の新たな根幹を生み出すべく結成された前衛芸術集団、具体美術協会の結成メンバーの一人である嶋本昭三は、大学在学中に抽象絵画に目覚め、1947年より吉原に師事しました。具体発足以前より、支持体である新聞紙に複数の穴を開けた作品など前衛的な制作を行なっていた嶋本は、体感型作品《この上を歩いてください》(1955年)や、大砲を使って絵具をカンヴァスに向けて飛ばす「大砲絵画」(1956年)の発表を経て、東京・青山の小原会館で開催された第2回具体美術展では、作家のトレードマークとなる、画面中央に石を置き、それをめがけて絵具と異物を詰め込んだガラス瓶を投げつけ、その飛沫の痕跡を作品とする「投擲絵画」(1956年)を披露します。絵筆という一般的な道具を用いた表現方法から離れ、強い偶発性に多くを因ったその制作方法は、作家の意図を超越した独自の存在感を持つ作品を生み出しました。

戦後、欧米の新しい美術動向が次々と日本に紹介されていく中、ヨーロッパの具象美術とは一線を画す新しい方向性を模索していた田中敦子は、1953年頃、大阪市立美術館付設美術研究所で共に学んでいた金山明の助言で、数字をモチーフとした作品《カレンダー》を手掛けたのを転機に、抽象美術に対しての関心を深めていきました。その後、金山明、白髪一雄、村上三郎らが、先鋭な美術を目指し結成した0会への参加を経て、1955年に具体美術協会へ参加します。観客がスイッチを押すと会場内の床に設置された20個のベルが順に鳴り響く《作品(ベル)》(1955年)や、9色の合成樹脂エナメル塗料で塗り分けられた約200個の電球・管球を不規則に点滅する光の衣服に仕立てた《電気服》(1956年)を、作家自ら着用して発表するなど、音や電気、あるいは空間や時間といった、視覚だけでは捉えきれない非物質的な素材の組み合わせと、パフォーマンスやインスタレーションを取り入れた実験的で斬新な田中の作品は、具体の前衛精神を象徴するとともに会員の中でも突出した異彩を放ち注目を集めました。1950年代半ばから作家の創作は平面作品への移行を見せ、その後生涯に渡り自身の《電気服》に見られる電球や配線を連想させる大小様々な円とそれらを縦横につなぐ線から構成される、他に類を見ない絵画群を発表しました。

1957年、抽象芸術運動「アンフォルメル」を提唱したフランスの美術批評家、ミシェル・タピエの来日をきっかけに、具体の活動は世界で知られるようになります。既成の美術概念に捉われない自由な発想に基づく独創的な作品は、海外で高い評価を受けました。日本でも1980年代より再評価が進み、戦後復興期の時代性を象徴するような創造的エネルギーに溢れる彼らの作品群は、近年更なる注目を集めています。

嶋本昭三
1928年大阪府生まれ(2013年没)。1947年、関西学院大学社会学部哲学科入学、吉原治良に師事する。1950年、同大学文学部卒業。1954 年、具体美術協会の結成に参加、以後中心メンバーとして活躍。1956年、第2回具体美術展にて「投擲絵画」を発表。1957年刊行の『具体』誌第6号に「絵筆処刑論」を寄稿。1975年、アーティスト・ユニオン(AU)に参加。自著に『芸術とは、人を驚かせることである』(毎日新聞社、1994年)、『ぼくはこうして世界の四大アーティストになった』(毎日新聞社、2001年)。1999年に紺綬褒章受章。主な収蔵先に、Centre Pompidou(パリ)、Galleria Nazionale d’Arte Moderna e Contemporanea(ローマ)、Tate Modern(ロンドン)、国立国際美術館、東京都現代美術館など。

田中敦子
1932年大阪府生まれ(2005年没)。1951年、京都市立美術大学(現・京都市立芸術大学)に入学するも同年中退、大阪市立美術館付設美術研究所に学ぶ。同研究所に通っていた金山明の助言により抽象美術に興味を持つようになり、金山明、白髪一雄、村上三郎らによって1952年に結成された0会に1954年より参加。1955年には、金山、白髪、村上らと共に吉原治良が主導する具体美術協会に加入、同協会の主要会員となる。同年、第1回具体美術展に《作品(ベル)》を、翌年の第2回展に《電気服》を出品。1965年に具体美術協会を退会、その後も旺盛な制作活動を続けた。主な個展に「田中敦子―未知の美の探求 1954-2000」芦屋市立美術博物館、静岡県立美術館(2001年)、「Electrifying Art: Atsuko Tanaka, 1954 – 1968」Grey Art Gallery(2004年)、「田中敦子―アート・オブ・コネクティング」東京都現代美術館(2012年、Ikon Gallery、Espai d’Art Contemporani de Castellóより巡回)。「ドクメンタ12」(2007年)、「第16回シドニー・ビエンナーレ」(2008年)に出品。

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