EXHIBITIONS
グループ展
会期: 2024年3月20日(水) – 4月28日(日)
会場: タカ・イシイギャラリー 前橋
参加作家: 厚地琴美、原田匠悟、竹林玲香、山本奎、吉田紳平
オープニング・レセプション: 3月20日(水)17:00 – 19:00
タカ・イシイギャラリー 前橋は、3月20日(水)から4月28日(日)まで、厚地琴美、原田匠悟、竹林玲香、山本奎、吉田紳平によるグループ展を開催いたします。本展では、日常のゆらぎや遠く離れた存在に意識を向ける、90年代生まれの作家たちによる作品をご紹介いたします。
厚地琴美は1994年長崎県生まれ、千葉県在住。2016年京都造形芸術大学美術工芸学科油画コース卒業、2019年に東京藝術大学美術研究科絵画専攻第4研究室卒業。目の前の光景や現象が生み出す微細な動きに関心を寄せる厚地は、光沢のあるメディウムに溶いた薄いアクリル絵具を、各層少しずつ変化させながら幾度も重ねる独自の技法を実践しています。1日に1層の反復行為が繰り返されるその作品は完成するまでに数ヶ月を要します。描く対象は、年を追うごとにモデルチェンジを行い少しずつ形態を変化させる自動車などから始まりましたが、近作では風景へと移行しています。人が視認できない時間軸で起こるプレートの移動によって刻々と生じる大地の変化を暗示するとともに、光が屈折して起こる陽炎のような画面を作り出しています。厚地の絵画がもつ物質的特徴は、ものごとの表層が過去のあらゆる変化の蓄積であることを改めて認識させます。
原田匠悟は1997年京都府生まれ、同地を拠点に活動。2020年に京都造形芸術大学美術工芸学科油画コース卒業、2022年に京都芸術大学大学院美術工芸領域修了。原田は何気ない日常の光景を撮りためた自身のスナップ写真を起点に絵画作品を描きおこします。それぞれの作品には、かつてどこかに存在した世界を経験した過去の視点と、絵画へと変換するにあたってそれを再度見つめなおす巨視的な眼差しの二つが共存しています。これら複数のフィルターから現れ出てくる画面は、焦点となるモチーフが登場する一方で写真のような全面的な解像度をもたず、おぼろげな記憶のように細部を抽象化する筆致が残されています。自分がその場にいなくなったあとを考えることがあると原田は述べていますが、その作品を鑑賞する行為は、ひとつの風景を捉えるまた新たな視座を作り出しているといえるでしょう。
竹林玲香は1998年大阪府生まれ、京都府在住。2020年京都造形芸術大学美術工芸学科油画コース卒業、2022年に京都市立芸術大学大学院修士課程油画専攻修了。せせらぐ川の水面にきらめく光の反射や岩石の表面にみられる紋様など、竹林は身のまわりの自然が作り出す現象を観察しキャンバス上に取り入れた絵画作品を制作しています。そこでは不規則にゆれるような線やかたち、色彩が互いに作用しながら画面に動きをもたらします。筆跡が生み出す層の重なりは作品が内包するうつろいゆく時間を想起させ、隔たれた風景を映し出す窓のように、絵画空間はその先の広がりへと想像力を誘います。絵画とあわせて本展に出展される陶板作品は、京都のアトリエで成形後に滋賀県立陶芸の森で焼成が行われたものです。粘土の成形や釉薬の塗布において実験的な試みを重ねることで、制作過程で生じるコントロールが困難な反応との積極的な対話が見てとれます。
山本奎は1997年高知県生まれ、京都府在住。2020年に京都造形芸術大学美術工芸学科油画コース卒業、 2022年愛知県立芸術大学大学院美術研究科彫刻専攻博士前期課程修了。学生時代に単身ヨーロッパを旅した経験をもとに、山本は人間の認知を超えた自然とのつながり、人やものの移動をテーマに制作を行っています。選択するメディアは作品ごとに異なり、映像や写真、あるいはレディメイドを組み合わせて構成される立体など多岐にわたります。本展では渡り鳥についてのリサーチをもとにした作品が中心に据えられていますが、一つ一つの現象を丁寧に解きほぐすことでそこに隠された関係性や相互作用が浮き彫りになります。情報技術が日常生活に浸透し身のまわりの微細な変化を五感をもって知覚する意識が希薄となっている現代において、山本の制作は自然との根源的なつながりを取り戻そうとする試みであるといえます。
吉田紳平は1992年奈良県生まれ、東京都を拠点に活動。2014年に京都造形芸術大学美術工芸学科洋画コースを卒業。吉田が手がける静謐なポートレート作品は、ハンブルク滞在時にフリーマーケットで手にした見ず知らずの家族のアルバム写真、そして亡くなる直前にともに時間を過ごした祖母との個人的な経験に基づいています。前者では遠い過去を生きた家族の歴史に触れ、写された登場人物たちやそこに不在の父親(=カメラを向ける存在)へと思いを馳せ、後者では親密な関係にありながらも遠く離れた存在に感じたという祖母が最期に見た景色を想像したと語っています。淡い色をのせ布で画面を拭きとる行為が蓄積されるごとに、キャンバス上で描かれる人物たちは遠く離れていくように不明瞭になり匿名性を帯びてゆきます。示唆的なタイトルとあわせてぼんやりと浮かび上がる顔は人々の記憶に留まる誰かと重なりながら、ひとつの物語を紡ぎ出すことを促します。