EXHIBITIONS

勅使河原蒼風

会期: 2024年2月10日(土)− 3月16日(土)
会場: タカ・イシイギャラリー(complex665)
オープニング・レセプション: 2月10日(土) 17:00 – 19:00

タカ・イシイギャラリーは、2月10日(土)から3月16日(土)まで、勅使河原蒼風の個展を開催いたします。いけばな草月流の創設者である勅使河原は、戦後の前衛いけばな運動を主導するだけでなく、国内外の同時代の現代美術とも接続し、造形作家としてそれを牽引した稀有な存在です。タカ・イシイギャラリーでの2回目の個展となる本展では、屏風に描かれた書や「富士山」を主題とした絵画など、平面作品を中心に作品約15点を発表いたします。

私はむしろ書から華がとれると思っている。そして華から書がとれる
実に形で相通ずるものがあるのです。木の枝ぶり、木の根っこね
本当に字になっているんだなあ、たまらないと思うことがありますよ。

勅使河原蒼風(金田石城『〇い顔 □い顔』成星出版、2000年3月)

いけばなを構成する3つの要素として、勅使河原は線、色、塊を挙げています。とりわけ線を重要視した勅使河原は、必要のない枝を切り、曲げ、留めるなど、花の美しさに甘えることなく果敢に造形することを提唱しました。いけばなや彫刻作品に加え、勅使河原は多くの書の作品を制作しましたが、これは同じ線(枝)で構成される書にいけばなとの相似性を見ていたことが理由です。揮毫された文字は植物のように有機的で、まるで表象されている概念が、象形文字である漢字の殻を食い破って外部へほとばしるかのようなエネルギーを発しています。作品「白雲」(1950年代-70年代)に見られるように、図である文字に対し、地の部分を着色する技法はその印象をより際立たせ、同時にいけばなにおける線と塊の関係をそれらに重ね合わせていることがうかがえます。

1960年代の初めから勅使河原は富士山を主題とした屏風、油絵、水彩作品を数多く制作しました。山中湖畔に構えた別荘から、日の出前、日中、夜までこの霊峰を眺め、「変幻無限であり、生々流転」な姿を、多様な色彩と柔らかな線、そしてデッサンのような素早い筆致で描きました。勅使河原の彫刻作品や書からは、獣のように猛々しい自然や、それに対する畏怖の念が感じられますが、富士山の作品からは親しいものを愛でるような穏やかな感情、そして自らの心の変化に瞬時に反応し、それを造形せずにはいられない強靱な創作への欲望を伺い知ることができます。

近年いっそう再評価が進む勅使河原蒼風は、今年3月に開催される横浜トリエンナーレ「野草:いま、ここで生きてる」に参加します。

勅使河原蒼風は華道家・勅使河原久次の長男として1900年に生まれる。幼いときからいけばなの指導を受け、卓越した才能を発揮し注目を集めるが、形式主義的なそれまでのいけばなに疑問を持ち、父と決裂して1927年東京にて草月流を創流。従来のいけばなを大いに逸脱する、戦後の「前衛いけばな運動」を小原豊雲、中川幸夫らとともに主導する。50年代から70年代にかけて、国内はもとより欧米各地でいけばなの展覧会やデモンストレーションを精力的に行う傍ら、多数の彫刻、絵画、書、コラージュ作品を制作。実験工房、アンフォルメル、具体美術協会などの戦後前衛芸術運動とも交流し、息子宏のディレクションのもと草月アートセンターにて「ジョン・ケージとデヴィッド・テュードアのイヴェント」(1962年)や「マース・カニングハム・ダンス・カンパニー」来日公演(1964年)を行うなど、幅広い前衛芸術を日本に紹介する。最晩年まで創作を続け1979年死去。

主な個展として「勅使河原蒼風-戦後日本を駆け抜けた異色の前衛」世田谷美術館(2001年)、「草月とその時代」芦屋市立美術館・千葉市美術館(1998-99年)、「勅使河原蒼風の彫刻」京都国立近代美術館(1967年)、ハウス・マイ(ケルン、1972年)、ガリエラ美術館(パリ、1971年)、ミドルハイム美術館(アントワープ、1971年)、ベルギー国立美術館パレス・デ・ボザール(ブリュッセル、1966年)、リンカーン・センター(ニューヨーク、1964年)、ガスパール画廊(バルセロナ、1959年)、スタドラー画廊(パリ、1959年、1961年)、マーサ・ジャクソン画廊(ニューヨーク、1959年)、バガテル宮殿(パリ、1955年)などが挙げられる。また国際現代芸術展、グラン・パレ(パリ、1963年)、「自然から芸術へ」パラッツォ・グラッシ(ヴェネツィア、1960年)、「新しい絵画世界展-アンフォルメルと具体」髙島屋(大阪、1958年)、「世界・現代芸術展」ブリヂストン美術館(東京、1957年)、「抽象と幻想<非写実絵画をどう理解するか>」国立近代美術館(東京、1953年)などのグループ展に参加。1962年には芸術選奨文部大臣賞を受賞し、フランス政府よりレジオン・ドヌール勲章シュヴァリエ章(1961年)と芸術文化勲章オフィシエ章(1960年)を受章している。

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