EXHIBITIONS
福島秀子
会期: 2018年11月2日(金) – 12月8日(土)
会場: タカ・イシイギャラリー ニューヨーク
タカ・イシイギャラリー ニューヨークは、11月2日(金)から12月 8 日(土)まで、福島秀子個展を開催いたします。福島は、1951年に新たな芸術表現を目指して結成された前衛美術集団「実験工房」に参加し、同グループの中心的なメンバーとして主に美術・衣装を担当しました。様々な分野を横断し、総合的芸術を目指した実験工房の活動と並行して、福島は50年代半ばには型押しの円と線による独自の画風を生み出します。その後、60年代には自身の代表作とも言える黒褐色のモノクロームによる「弧」シリーズへと作品を展開し、70年代にかけて「青」シリーズを発表しました。タカ・イシイギャラリー ニューヨークでの初個展となる本展では、作家の代表作である「弧」を含む60年代の作品5点を展示いたします。
1943年に文化学院女学部を卒業後、48年に日本アヴァンギャルド美術家クラブ主催の「モダンアート夏季講習会」に参加した福島は、そこで北代省三、山口勝弘と知り合います。追って北代が同講習会参加者に呼びかけるかたちで継続的に開催した美術研究会にも出席した福島は、抽象絵画の歴史や原子物理学、相対性理論からSFまで、幅広いテーマに触れることとなりました。山口の提案でトリダンと命名されたこの研究会は、以後、七耀会と名を変えて、若手作家が主導的に前衛的制作活動を展開する場として岡本太郎からも好評を得ています。同会の環境の下、福島は抽象絵画を発表するなど本格的に美術の道へと進んでいきました。
1951年に東京・日比谷公会堂で開催されたピカソ展記念祭「ピカソ祭」のイベントの一環として、バレエ「生きる悦び」の制作を受けるかたちで誕生した実験工房は、美術家、音楽家、照明家、詩人などを構成メンバーとし、芸術の綜合を目指しました。北代、山口とともに美術を担当した福島は、異なるジャンルが協働するグループの活動を象徴するように衣装制作をも手掛け、その斬新なデザインは一躍注目を浴びました。
制作初期より抽象表現を試みていた福島は、北代や阿部展也など周囲の美術家の影響を受けつつも絵画の模索を続け、50年代半ばには型押しによる円と、矩形、線状で構成された独自の手法を確立していきます。福島にとって円は生命をあらわす重要なテーマであり、同じく実験工房メンバーであった弟の福島和夫とともに制作したオートスライド作品「水泡は創られる」にもみられるように、生成しては消える儚さと力強さの象徴でもありました。時に絵筆を使わず、和紙やケント紙などを水に濡らし部分的にグワッシュ絵具で下地の色を作り、その上に円形の型を押して画面を構成した抽象絵画には、静寂と叙情がただよう独特の緊張感が表現されています。
その後、1957年には来日中のミシェル・タピエの目に留まり、59年「第11回プレミオ・リソーネ展」を皮切りに、61年第2回パリ青年ビエンナーレに出品するなど、福島は海外でも注目される作家となっていきます。それまで福島の作品で暗示力豊かに画面上で広がりをみせていた円は、その心理的緊張感と動力を失う事なくモノクロームへと変容し、作家を代表する「弧」シリーズへと発展しました。円と弧が褐色の線状のストロークとともに描かれたこれらの作品は、鋭く突き刺さるような作家の心理と精神世界の描写が極限まで高められた表現とも言えるでしょう。
福島秀子は1927年東京生まれ(1997年没)。本名愛子。43年文化学院女学部卒業。48年に「モダンアート夏季講習会」に参加し、同会で知り合った北代省三、山口勝弘らとトリダン(七耀会)を結成。51年には彼らと共に詩人の瀧口修造を慕い集まった様々な分野の若手作家と実験工房を結成し、主に美術・衣装を担当。50年代半ばには型押しの円と線による独自の画風を生み出していく。60年代には福島の代表作とも言える黒褐色のモノクロームによる「弧」シリーズへと発展し、1970年には「青」シリーズへと移行していった。力強い線と繊細な円による画面には独特の緊張感があり、見る者の心に食い入るような心理的描写の深い作品を制作した戦後日本のアンフォルメル、抽象絵画を代表する女性作家。主な展覧会に「特集展示 福島秀子:クロニクル1964- OFF MUSEUM」東京都現代美術館(2012年)、「Tokyo 1955-1970: A New Avant-Garde」ニューヨーク近代美術館(2013年)、「戦後芸術を切り拓く 実験工房」神奈川県近代美術館 鎌倉、いわき市立美術館、富山県立近代美術館、北九州市立美術館、世田谷美術館(2013年)など。主な作品収蔵先にテート・モダン、東京都現代美術館、東京国立近代美術館、板橋区立美術館、千葉市美術館、高松市美術館など。