EXHIBITIONS

北代省三

会期: 2017年10月19日(木) – 11月22日(水)
会場: タカ・イシイギャラリー ニューヨーク

タカ・イシイギャラリー ニューヨークは、10月19日(木)から11月22日(水)まで、北代省三の個展を開催いたします。北代は、1940年代から90年代にかけて、絵画や写真といった平面から、モビールやミクスト・メディアなどの立体作品、さらには舞台美術、グラフィックデザイン、模型に至るまで、様々な造形ジャンルを横断し、かたちとシミュレーションに関する独自の思考実験を行ないました。タカ・イシイギャラリー ニューヨークで2度目の個展となる本展では、1980年代に制作したオブジェ作品を中心に、北代が追い求めた遊びと実験精神を感じさせる作品計6点を展示いたします。

東南アジアへ従軍中、美術への関心を抱いた北代は、雑誌『創美』(1948年4月号)に掲載された、パウル・クレーの詩的で有機的な絵画や、動きと時間を作品構造に組み込んだアレクサンダー・カルダーのモビールに触発され前衛芸術を志向します。第1回日本アンデパンダン展(1949年)に出品したマシニックで抽象的な油彩画が、瀧口修造の評と共に読売新聞紙上に掲載され一躍脚光を浴びる中、1950年より山口勝弘、福島秀子らと共に、福島邸で出会った音楽家たちと交流を深め、瀧口を精神的支柱とした総合芸術グループ・実験工房を結成します。政治色を持たず、異分野の構成メンバーによる共同作業・共同発表を基本とした同グループでの活動を通じて、北代の制作はモビールやオートスライドなど絵画以外へと展開します。1953年、『アサヒグラフ』の連載「APN(Asahi Picture News)」で撮影を担当した写真家・大辻清司の仕事に接し、北代は次第に写真やフォトグラムの技法に関心を移し、エッセイ「画家から写真家へ」(『芸術新潮』1956年9月号)の発表をもって転向を表明します。複数性を前提とした印刷媒体である雑誌を発表の場として写真的実験へ向かった北代は、60年代以降の現代美術の枠組みからの批判的逸脱を示しました。日本万国博覧会(1970年)を契機に写真表現からも徐々に距離を置き、飛行機や模型制作へと活動を移行した後、晩年には木を素材とした立体作品の制作に取り組みました。

多様なメディアや方法論を用いて制作を展開した北代は、自身の造形哲学を纏めた著作『模型飛行機入門』(1976年)の冒頭で、勉強机の上で精巧に縮尺された飛行機模型を飛び交わせたという幼年期の夢を振り返っており、「シミュレーション空間を創出し、その空間に解き放たれこころを遊ばせること」(大日方欣一「かたちとシミュレーション 北代省三の冒険」『北代省三の写真と実験 かたちとシミュレーション』、川崎市岡本太郎美術館、2013年、8頁)に、北代の造形活動に通底した関心のありかが伺えます。北代が長らく取り組んだモビールが、風や気流といった外的条件との関係によって成り立つように、北代の実験的制作は一つの作品のうちに完結することなく、常に他との相互作用性をその重要な要素として含んでいます。本展に含まれる「迷路設計者必携」(1987-1994年)にも、その精神をみることができますが、ここでは更に飛躍して、変化を与えるものとして人間の意志が介在しています。「変化とうつろい」をテーマに構成され、生涯最後の個展にも出品された、このチェスから着想を得た作品は、パネル上に規則的に設置されたピースに糸巻きに巻かれた糸を付属したもので、ピースの間を縫うように張り巡らされる糸の配列パターンは無限に広がります。北代は同展に寄せた制作ノートにおいて、造形的優劣と配列のエントロピー増減の関係性を論じ、作品について次のように述べています。

(……)今回の作品群は造型における作為と無作為、意識と無意識のはざまに介在するさまざまな問題・・・シュールレアリズムにおける、オートマティズムや自動記述の問題も含めて・・・を実験するためのオブジェ群であるともいえよう。

北代省三「製作ノート、あるいはメモ」『第14回オマージュ瀧口修造展 エントロピー―造型における無秩序の実験』、佐谷画廊、1994年、NP

北代省三は1921年東京生まれ(2001年没)。新居浜高等工業専門学校(現・愛媛大学工学部)で機械工学を学ぶ。陸軍に応召され、技術将校としてシンガポールなどへ従軍の折より芸術に親しみ、余暇にスケッチを始める。復員後の1948年に日本アヴァンギャルド美術家クラブ主催のモダンアート夏期講習会に参加。同じく参加者であった山口勝弘や福島秀子らと研究会トリダンを結成。1949年第1回日本アンデパンダン展に出品した油彩作品が瀧口修造の高評を受ける。同年、アヴァンギャルド芸術研究会と合流し発足した世紀の会に参加し、同絵画部の代表を務める。この頃より福島らを媒介として音楽家である鈴木博義、武満徹らとの交流を始める。1951年、読売新聞社よりピカソ祭のバレエ「生きる悦び」の演出構成を委嘱され、綜合芸術グループ・実験工房を発足。1953年、北代の提案の元、北代、山口、斎藤義重らが交替で構成したオブジェを大辻清司が撮影するシリーズを『アサヒグラフ』のコラム「APN」に連載。以降本格的に写真表現に取り組み、印画紙を用いた写真版画を発表。50年代末からグラフィック集団での活動や、コマーシャル写真の分野でも活躍。1970年の日本万国博覧会を契機に徐々に模型制作へと移行し、エッセイの執筆の他、『大型カメラの世界』(1976年)、『模型飛行機入門』(1976年)を上梓。「前衛芸術の日本 1910-1970」ポンピドゥー・センター(パリ、1986年)へ出品した再制作作品などで高い関心を集め、旧作と生前の活動への再評価が高まっている。主な個展として「かたちとシミュレーション 北代省三の写真と実験」川崎市岡本太郎美術館(2013年)、グループ展として「Tokyo 1955-1970: A New Avant-Garde」ニューヨーク近代美術館(2013年)など。作品は、ニューヨーク近代美術館、フリーア&サックラー・ギャラリー、テート・モダン、東京国立近代美術館、川崎市岡本太郎美術館などに収蔵されている。

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