EXHIBITIONS

斎藤義重

会期: 2016年12月1日(木) – 2017年1月28日(土)
[冬季休廊: 2016年12月24日(土) – 2017年1月2日(月)]
会場: タカ・イシイギャラリー ニューヨーク
オープニング・レセプション: 12月1日(木)18:00-20:00

タカ・イシイギャラリー ニューヨークでは、2016年12月1日(木)から 2017年1月28日(土)まで、斎藤義重の個展を開催いたします。日本の前衛美術運動の草創期に活動を始めた斎藤は、日本戦後美術の開拓者及び教育者として、「もの派」をはじめとする多くの作家に影響を与えました。本展では、1950年代に隆盛した抽象表現主義の影響が窺われる油彩作品から2点、平面、立体の枠組みを超え空間を構成した晩年の半立体レリーフ作品から2点を展示いたします。

早くからダダイスムや構成主義といったヨーロッパの前衛芸術運動に注目した斎藤は、とりわけ1920年に開催されたロシア未来派の亡命画家らの来日展を契機として、既成の価値観への懐疑から、イリュージョンとしての空間を表現する絵画の基本的性格を拒否し、反絵画的志向に基づく自身の制作や表現を形成しました。本格的に創作活動を開始した1930年代始めより「純然たる絵」の枠組みを超え、しばしば「立体的」な作品制作を志向していた斎藤の絵画は、1950年代に至るまで、図像性からの脱却や、色彩の情緒性を排除し物質的なものへと変容させることによる実体性の付与といった課題へ展開しました。

そうした中で、戦前から感じ続けていた絵画表現の限界という問題に改めて直面した斎藤は、1960年のヴェネツィア・ビエンナーレ出品に伴う初渡欧の際にルーチョ・フォンターナ等の作品を目にし、帰国後、脱平面性・オブジェ性を内包するドリルを使用した作品制作に取り組みます。その後1960年代後半には、斎藤自身が当初1930年代に制作を開始し、後年「トロウッド」と名付ける、楕円状または帯状の板を並べた合板レリーフ制作への回帰を見せ、それらの作品は1970年代より発表される三次元的立体表現へと発展します。作品の内側の空間が作品表面によって「閉じられた」作品群である「反対称」シリーズを経て、平面と立体の組み合わせに対する関心は1980年代より顕著となり、1984年以降、黒い木を連結したインスタレーションである「複合体」シリーズにみられるような、平面、立体の垣根を越え、周囲の空間と作品の空間が流動的な関係を持つ「開かれた」作品の発表へと進展しました。

私の制作について――常に完成ということがなく、たえず進行の状態がそのまま形態となる。それは一つには矛盾を内包したプロセスの表現でもあり、また安定・静止という空間をもたないことは、同時に時間的表現でもある

原典: 展覧会図録『斎藤義重』、入善町下山芸術の森発電所美術館刊、1998年
展覧会図録『斎藤義重』より抜粋、斎藤義重展実行委員会発行、2003年、p.15

斎藤義重(1904-2001)は東京都生まれ。1933年に古賀春江、東郷青児らが主催する「アヴァンガルド洋画研究所」に入るなど、戦前に展開した日本の前衛美術運動の草創期に活動を始める。1938年に吉原治良、山口長男らとともに二科「九室会」、翌年には福沢一郎らシュルレアリスムの作家を中心とした「美術文化協会」の結成に参加。絵画と彫刻の垣根を越えた表現を追求し、その造形思考は、山口勝弘や北代省三ら「実験工房」のメンバーや、関根伸夫、吉田克朗、成田克彦、小清水漸、菅木志雄ら「もの派」の作家へ大きな影響を与え、戦前から戦後日本の美術を牽引した。主な個展に「斎藤義重展」東京国立美術館(1978年)、「斎藤義重展」東京都美術館、栃木県立美術館、兵庫県立近代美術館、大原美術館、福井県立美術館(1984年)、「斎藤義重による斎藤義重展時空の木―Time・Space, Wood―」横浜美術館、徳島県立近代美術館(1993年)、「斎藤義重展」神奈川県立近代美術館(1999年)、「斎藤義重展」岩手県立美術館、千葉市美術館、島根県立美術館、富山県立近代美術館、熊本市原題美術館(2003年)など。主な賞歴に第4回日本国際美術展K氏賞(1957年)、第4回現代日本美術展最優秀賞(1960年)、第3回グッゲンハイム国際美術展」優秀賞(1960年)、第6回サンパウロ・ビエンナーレ国際絵画賞(1961年)など。

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