VIEWING ROOM

Issue #03|Rei Naito|Mirror Creation

顕われていないものを誘い出す
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住友文彦: 今回の展覧会は、はじめの部屋の使い方が本当にすばらしかった。内藤さんが繊細に作品を配置していくとき、建築空間はどのように意識されているのでしょうか?  金沢21世紀美術館でも、神奈川県立近代美術館でもいいのですけれど、SANAAや坂倉準三が、どのように空間のプロポーションをデザインしたかということを思い描くことはあるのですか?

内藤礼: プロポーションから入るというよりも、「目の前にあるものはよいもの」というところからスタートします。その空間と人との関わり方で、もしそこにもともとある良いものが隠れてしまっているとしたら、それがおもてに現われてほしいというふうに。

住友: 建築家が作った空間って、人を緊張させるところがあるじゃないですか。 良い言い方をすると集中させるというか。だけど内藤さんの作品が置かれた途端に、集中と弛緩が交互に起こるような気がして。それが、内藤さんがさっき仰っていた、おもてに現れていないものを誘い出しているように思いましたね。

内藤: 光や風…。

住友: 作品によって風がとてもシンプルに視覚化される効果は絶大ですね。

内藤礼 《精霊》 2020年 リボン、ポール 写真:畠山直哉

内藤: あの中庭には、あんなにも豊かに風が流れていると、リボンは伝えてくれます。空間、光や風、もの。そしてそれを通して徐々に人のほうに中心が移り始めているようです。そこにいる人を見るということです。豊島美術館の《母型》ができたとき、私が一番感動したのは、人の姿を美しいと感じたことです。知らぬ間にそこにいる名前も知らない人への愛情が生まれていました。

生の外側から見ている
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住友: 作者のそうした感覚を鑑賞者に感じさせるのは奇跡のような出来事ですが、豊島の作品は、内藤さんの作品を初めて見る人がそれを感じとることができる空間になっています。

内藤: 豊島の作品は、空間のスケールも一つの体験です。遠くから人の姿が見えるでしょう。二人で並んで一枚の絵を見るのとは違います。今回の展覧会も、空間と作品のスケールの幅、そして一日を通して変化する光が、体験に大きく関わっています。自然光は固定されていないために、作品の印象は刻々と移っていきます。その前に、ひとりひとりの歴史もその日の心境も違います。そこで受けるものは瞬間ごとに変化するし、同じ空間にいても、立つ位置や目の高さでまったく違う。そういう影響をむしろ浴びるように受ける。通常は、影響を受けることは、避けるべきだと思うかもしれない。いつどこでも同じように見える安定したものが良いとされているかもしれない。けれども、私の作品はそうではないのです。あるがままに受けとるということは、安定していないということで、ものの見え方も感じ方も常に流動し、揺れています。そこでは、同じ体験をしている人は一人もいない。個人の体験は個でしかない。作品を共有していると同時に、そういうふうに人は孤独であって共有はできないし、することもない。ひとりの人の世界に誰も入ることはできないし、その人のその瞬間を壊したくはない。そういう感情が生まれてきて、それをまた共有しているような。豊島美術館もそうですが、金沢の作品にはそれを感じます。豊島の2年前に富山の発電所美術館で制作した、宙から時々水が落ちる作品にも、その感覚がありました。その頃から、ものの先に、「そこにいま生きている人」を感じるようになり、水戸では慈悲について思うようになりました。そういうふうに感じるとき、人は生の外側に出ていると思うのです。

住友: とても大事な点だと思いますが、「生の外側」とはどういう意味ですか?

内藤: この世を旅立った人や生まれる前の人、そして動物や精霊。その眼差しになっているから、「あなたはいまそこに生きている」と感じるのではないでしょうか。そのとき、自分を忘れています。今回、テストをしながらプランを立てていく中で、生の内と外は空間で分かれるのではなくて、意識の転換が引き起こすと実感しました。この作品構成では、見る、見られる、の転換が何度も起きます。人形(ひとがた)の《ひと》を見る、見られる。人間を見る、見られる。それを繰り返します。そして、最後に展示室14に入ると、小さな開口部から、エントランスロビーとその向こうの街の風景が見えるのですが、そこには人がいます。

‘ままごと’ としての「うつし」
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内藤: 芸術の物語。ままごと。うつし。

住友: 「ままごと」というのはどういう意味ですか?

内藤礼 《無題(母型)》 2008年 ビニール、糸、ビーズ、電気コンロ、木に塗装
写真:畠山直哉

内藤: 「うつしあう創造」と展覧会タイトルを付けましたが、「うつし」には、「映す」、「写す」、「移す」、「遷す」とあります。例えば、生と死。光と闇。自然と人間。作品と作家。作品と鑑賞者。対立しているように見えるものは、もともと分けられないようなもので、それが二つに分かれると、そこには間、空間が生まれます。そして、分かれてしまうので、その空間で「うつしあう」のです。分かれなかったらうつしあわない。この空間には動きが生まれ、いきいきした生気も湧いてきます。ままごとは、「うつし」の中でも学びや真似ることです。

住友: 内藤さんの作品ではひとりで内省する印象が強かったので、今回の展覧会タイトルにははじめから複数の存在が想定されていることが気になっていました。

内藤: きっと人間の初動に関心があるのかな。人間とは何か。地上に生まれ育った人間とは。

光と色彩と生が同時に顕われる
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内藤: はじめに原初の光景があり、水がときどき落ちて。もし手前の空間に私たちが立つと、光景は「うつし」になるかもしれない。そして、見えないけれども同じように糸が。

住友: 見えない場所になにか置かれている、と手元のガイドマップで確認していました(笑)

内藤礼 《無題》 2020年 糸
写真:畠山直哉

内藤: そう、見えないです(笑)  鏡もあります。そして9と10の窓。これはテストをしているとき、大きな発見がありました。ここは、上からの自然光が入らない空間と、光庭からの自然光で眩しいほどの通路との明暗が非常に強いのですが、ほの暗い空間内で窓ガラスに映る通路を見ると、そこにいる人がカラーなのです。そして、空間に入ってくる人を、色彩が顕われた、と感じたのです。光があるからでした。空間の中にいる人は、光が少ないためにガラスにモノトーンで映っています。

「内藤礼 うつしあう創造」展示風景 2020年 写真:畠山直哉

住友: なるほどそうか。それを実際に経験して初めて発見した。

内藤: そう。だから、もしかすると見ている人は、私のような感じでは受けとらないかもしれない。その日の天気にもよるし、気づいた人もいるかもしれないけれど。

住友: そうですね。

内藤: 私もその瞬間まで気づいていなかった。光と色彩と生が同時に顕われる。切り離せないものとして。喜びの発見でした。そして、《color beginning》で知ろうとしていたことと同じだったということもわかりました。あの絵をしばらく見ていると、向こうからゆっくりと色彩と光と生が一体となって顕われてきます。もし光がなかったら絵はないです。

住友: あの作品は、みごとに光と色が顕れてくる経験を与えてくれます。

内藤: 人の姿を新たに発見したのがここでの制作でした。豊島とはまた違い、生きている人の姿を色彩として知ったのです。そして、これも金沢21世紀美術館の特質で、自由に人が行き交う通路が光庭の横にあるでしょう。そこを通る人までも窓ガラスに映るのです。カラーで。そして、展示室11のほうには、遠く、地上にたくさんの《ひと》がいます。

内藤礼 《母型》 2020年 水、ミクストメディア、 《ひと》 2011-2020年 木にアクリル絵具 写真:畠山直哉

住友: さっきも出ていたスケールですね。震災直後にベルリンで見た《ひと》は、とても孤独に見えたのですが、今回は大きな広場にそれぞれが適度な距離感でしっかり立っているようにみえたのがとても印象的でした。

内藤: スケール。俯瞰。遠くから人を見ているときの心情というものが人にはあるという気がします。展示室7で《ひと》は床に立った。大地だった。そして、展示室11では、近づくと人間の高さへ。腰から胸くらいのところにいると、親密さがまるで違う。

内藤礼 《母型》 2020年 水、ミクストメディア、 《ひと》 2020年 木にアクリル絵具 写真:畠山直哉
「内藤礼 うつしあう創造」展示風景 2020年
写真:畠山直哉

住友: 全然違いますね。金沢も水戸も、展示室のどこかが汚れてきたり、傷があったりするじゃないですか。自然光によって、見ている人たちにそうした細部が明るみに出ている。これがとても心地よくて、それは隠すべきものじゃなく、むしろ、内藤さんの言葉で言う「祝福」されているように見えるというのは、すごくあったかい気持ちになるところがありました。何度も見ているはずの建物ともう一回出会い直しているみたいなところがあります。

内藤: 光や空間の受け止め方もそうですけれど、そのままを受け止められるか、受容を肯定できるか。作り替えるのではない場やものとの人間の関係の持ち方。どういうふうだったら接してもよいのか。何をしてもいいということではなく。

住友: だから、あるものをそのままにした。

内藤礼 《無題》 2020年 水、ガラス瓶 写真:畠山直哉

知覚できない領域
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内藤: たとえば、天気のすべてを受け容れようとするでしょう。でも頭で考えるのとは違うことが心では起きますね。私も普段、光が少ない日は沈む。それは生理的に沈むので、光の少ない日に作品を観ている人にもそういうことはあると思うのです。私自身、あの場所で突然光が差してくると、一秒にも満たない瞬間に心がぱーっと明るく変化する。しかし、それが起きるのは、もちろんそうでないときがあるからですね。先ほどもお話ししましたが、作品が動いていて、安定していないのです。人間がほんとうに感じ取れることは世界の一片だということが、作品にとって大きいという気がしてきています。人間の限界と、一方で全体が流れていること。仮に言ってみると、すべての展示空間を貫く一つの空間、それのみが知っている。何が起こったのかということを。でも、それを何とも言えない、主体があってないのだから。少なくともその主体は人間ではなく、人間を超えたものがあるということと、その世界にいるということは、大きいのだと思います。たとえば、小さい鏡が向き合う無限空間がありますが、人が覗き込むとその無限は壊れてしまう。高いところにある二つの鏡も無限空間を作っていますが、高いというただそれだけの理由で人は知ることができない。

住友: 見えていないというのは、自分が把握できる世界の外側を感じとる経験でもありますね。

内藤: 展示室7の糸と鏡も、あるけれど、能力的に知覚できない。でも、そういうものがあることが私にはうれしいのです。

住友: 僕の中では、豊島の後は美術館の展示はやりたくなくなっちゃうんじゃないかなと思っていました。でも、金沢では、あの暗い部屋をシンメトリーに区切って使って、ああいうことができるのだったら、豊島みたいに一から作る空間じゃなく、既存の空間から、まだ気づかれていない魅力をくみ出す仕事も非常に重要ですね。

内藤: どういう風に感じますか?  豊島の作品と、今回のような美術館の展示室での構成。水戸もそうでした。豊島は構成ではなくて一つで全体です。

住友: 豊島は、時間軸が一切なくて、あそこで完全に作品に包み込まれている。みんながそこでたゆたうような時間を過ごす。あれはもう唯一無二の時間です。美術館では、自分が作品を見ながら歩き回ることで生まれ出る物語がある点が違います。最後の円形の部屋の窓から外側を眺めることで、自分の内面と外の世界が貫通するような経験をして、その物語が完結するのは美術館の空間を内藤さんが経験的に把握しているからできることだと思います。

内藤: たしかに、美術館という場所だから起こりうることがあります。

内藤礼 《地上はどんなところだったか》 2020年 ガラス、糸
写真:畠山直哉

住友: 豊島は、まわりを自然に囲まれていて、音とか空気が中にも入り込むのだけれど、入ってしまうと外とは切り離された感じがする。でも、今回の展覧会は、まず中庭で風を見るとか、最後の部屋で道路の向こう側が見えるとか、そういう外側を感じられるところがとても効果的だという感じがします。

内藤: そうですか。建築というか、人工の、目的を持った空間にいるから余計にわずかに入ってくる自然をつよく感じるのかもしれない。でも、きっとあの美術館でしかあり得ないですね。展示室からチケット売り場が見えるなんて。

住友: あの位置関係に気づいた内藤さんがすごい(笑)

内藤: あれがもし整えられた庭だったら、この作品は存在しないですね。最後の小さな開口部から見えるのは、流れている日常、社会。そして、その遠くに見える人にたいして、愛情を感じるだろうか、慈悲が生じるだろうか、あなたはいまそこに生きていると思えるのか。それが自分への問いでした。もし思えたときには、あの穴を突破して、この世に生まれるのです。

住友: (笑)

内藤: (笑)  そして、生きている間は、この世に何度でも戻れる。戻る場所はあった。あのなんでもないカラーの風景に。

住友: 覚えていますよ。最後、誰だか知らないおじさんの顔を見ましたよ。でもね、こういうのが見えちゃったって思ったときに、それが切り取られているってすごい経験だなと思って。愛着っていうかね。

内藤: そう、愛着。それは芸術だ。そうも思います。

内藤礼 《母型》 2020年 スフレビーズ、鈴、テグス 写真:畠山直哉

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聞き手: 住友文彦(アーツ前橋館長/東京藝術大学大学院准教授)
於: タカ・イシイギャラリー
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翻訳: 川田康正 (Art Translators Collective)
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図版すべて: 「内藤礼 うつしあう創造」展示風景 2020年 金沢21世紀美術館
協力: 金沢21世紀美術館
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ABOUT

人と自然、わたしとあなた、生と死、内と外、そして人と作品のあいだに生じる移し、写し、映し、遷し。「うつしあう」両者のあいだに顕われる生気、慈悲、それらとの一体感のうちに、生へと向かおうとする「創造」の瞬間が見出されるのです。
———金沢21世紀美術館「内藤礼 うつしあう創造」展プレスリリースより

内藤礼は、光、水、風、大地など自然のエレメント、糸やリボン、ビーズやガラスといった繊細な素材、そして天候や時間など移りゆくものを受けとめることによって、地上の生の光景を出現させてきました。ささやかに手を加えられた展示空間がもたらす色彩や音は、私たちに「世界・自然との連続性のなかに生きている」ことを静かに提示します。静寂、鑑賞者の呼吸や衣摺れの音、そしてだれのものともつかぬ他者の気配、それらが空間に溶け込み、私たちは、そのうちに自らもその世界と一体であることに気づかされるのです。《このことを》家プロジェクト「きんざ」(直島、2001年)、《母型》(豊島美術館、2010年)、「信の感情」(東京都庭園美術館、2014年)などを制作するなかで、作家は「生の内にいる者 (私)が、生の外に出て、生の内を眼差す無意識の働き」に直面していくことになります。そして「うつしあう創造」(金沢21世紀美術館、2020年)においては、『「人(わたし)が作る」を超えること』を問い続けてきた作家が、はじめて「創造」と向き合います。それは人が自らを主体であると認め、人になろうとする行為だと作家はいいます。

ビューイング・ルームにてご紹介する作品《color beginning》は、内藤礼が2005年から制作を続けている絵画のシリーズです。ゆっくりと対峙するうちに光と生気と一つになって現れてくる色彩は、人の心の状態、作品と向かい合う環境によって、知覚と感情のありかたが刻々と変化することを伝えます。個展「うつしあう創造」(金沢21世紀美術館、2020年)において展示されている絵画作品と同時期に制作された作品です。

INFORMATION

「内藤礼 うつしあう創造」
2020年6月27日[土] — 8月23日[日]
金沢21世紀美術館
* 日時指定入場制
official web site

BIOGRAPHY

内藤礼
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1961年広島県生まれ。現在東京を拠点に活動。
1985年武蔵野美術大学造形学部視覚伝達デザイン学科卒業。

1991年、佐賀町エキジビット・スペースで発表した《地上にひとつの場所を》で注目を集め、1997年には第47回ベネチア・ビエンナーレ国際美術展の日本館にて同作品を展示。「地上に存在することは、それ自体、祝福であるのか」を一貫したテーマとした作品を手がけている。これまでの主な個展に「みごとに晴れて訪れるを待て」国立国際美術館(大阪、1995年)、「Being Called」フランクフルト近代美術館企画、カルメル会修道院(フランクフルト、1997年)、「すべて動物は、世界の内にちょうど水の中に水があるように存在している」神奈川県立近代美術館 鎌倉(神奈川、2009年)、「信の感情」東京都庭園美術館(東京、2014年)、「信の感情」パリ日本文化会館(パリ、2017年)、「Two Lives」テルアビブ美術館(テルアビブ、2017年)、「明るい地上には あなたの姿が見える」水戸芸術館現代美術ギャラリー(茨城、2018年)がある。本年8月23日まで、金沢21世紀美術館にて個展「うつしあう創造」を開催。

パーマネント作品に、《このことを》家プロジェクト「きんざ」(香川、2001年)、《母型》豊島美術館(香川、2010年)。受賞に、日本現代藝術奨励賞(インスタレーション部門、1995年)、第一回アサヒビール芸術賞(2003年)、第60回毎日芸術賞(2019年)、第69回芸術選奨文部科学大臣賞(美術部門、2019年)。


作品のビューイングをアポイントメント制にて承ります。ご希望の方は以下コンタクトフォーム、またはお電話よりお問い合わせください。

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