EXHIBITIONS

関根美夫

会期: 2016年9月1日(木) – 10月8日(土)
会場: タカ・イシイギャラリー ニューヨーク
オープニング・レセプション: 9月12日(月)17:00-20:00
アジア・ウィーク・ニューヨークに合わせ、9月12日(月)と18日(日)は通常開廊いたします。

タカ・イシイギャラリーニューヨークでは、関根美夫個展を開催いたします。関根は、吉原治良を中心として結成された前衛芸術集団「具体美術協会」の創立メンバーでした。本展では、関根が初期に制作した抽象絵画と、後期に制作した算盤を主題とした絵画を展示いたします。

現在、欧米を中心に戦後の日本前衛美術を評価する動きが高まっています。具体の名は1950年代後半から欧米の美術界で広く知られるようになり、1986年にポンピドゥー・センターで開催された「前衛芸術の日本 1910-1970」展において、具体は戦後の日本美術を代表する動向として位置づけられました。そして2000年代に入り、日本を含めた非西洋圏の美術運動についての研究がより深く活発に行われるようになり、その成果として、北米の美術館で初の大規模な個展となる「具体:素晴らしい遊び場所」(2013年)がグッゲンハイム美術館(ニューヨーク)にて開催されました。現在では、具体は第二次世界大戦後に出現した重要な国際的前衛運動のひとつとして再認識されています。

第二次世界大戦終結後、世界経済は国際金融資本によって管理され、巨大な資本主義経済システムの再構築が進められる変化の波がおとずれました。1960年代には、この急速な変化と資本主義への懐疑がアーティスト達のあいだで同時多発的に起こり、アンフォルメル、アルテ・ポーヴェラ、そして日本では具体美術協会やもの派が戦後美術の大きな動向として表れました。具体は「われわれの精神が自由であるという証を具体的に提示したい」という標榜のもと、描画方法を間接化した抽象絵画や、身体を用いたダイナミックなパフォーマンス、インタラクティヴなインスタレーションなどの作品を数多く発表しました。具体の作品は、日本の高度経済成長期がもたらした幻滅と繁栄の時代のなかで、破壊を象徴するようなジェスチャーやアクションを通して自らの存在を身体的な次元から問い直し、なにか新しい生命力を得たいという当時の若者の内的な欲求そのものといえます。世界的にみても,具体はカプローやフルクサスの活動以前にハプニングなどの形式を創造し、日本の反芸術的動向の先駆けの役割を果たしています。それらはアンフォルメルの絵画理念を唱導したフランスの美術批評家ミシェル・タピエとの出会いによって、広く欧米へ紹介されました。

関根美夫は、1960年代初頭から四半世紀にわたり「算盤」「門」「貨車」「富士山」のモチーフを描き続けてきました。なかでも算盤は、関根にとって身近なオブジェクトであり、最も多く描き続けたモチーフでした。水平線、垂直線、斜線のみによるプライマリーな造形要素によって構造的に並ぶ算盤のイメージは、具象絵画であると同時に、算盤が算盤としてでなく記号として表れる抽象表現に高められており、イリュージョンと具象の境界に観るものを誘います。抽象化された算盤の珠の反復を伴って、その構造は、あらゆるものが記号化された高度経済成長期の空間を露呈させる力を備えています。

関根美夫(1922年−1989年)は和歌山県に生まれる。自由美術研究会を介して吉原治良を知り、1954年具体美術協会の結成に参加。1955年第7回読売アンデパンダン展(東京)に出品。美術批評家ミシェル・タピエの発案による「新しい絵画世界展-アンフォルメルと具体」展なんば髙島屋(1958年、大阪、その後東京、京都、広島、長崎に巡回)に出品。同年、第5回具体美術展(東京)に出品。1959年に具体美術協会を退会、東京に転居する。「第15回読売アンデパンダン展」(1963年、東京)に算盤を描いた絵画を出品し、以後「算盤」「門」「貨車」「富士山」のシリーズを制作し、それらをモチーフとした絵画を追求した。以後の参加したグループ展として、「現代美術の動向 絵画と彫塑」京都国立近代美術館(1964年、京都)、「近代日本の美術」東京国立近代美術館(1975年、東京)、「1960年代 -現代美術の転換期」東京国立近代美術館(1981年、東京、その後京都国立近代美術館へ巡回)などが挙げられる。毎日新聞社賞(1952年)、 第2回長岡現代美術館賞(1965年)を受賞。

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