EXHIBITIONS

村越としや 「沈黙の中身はすべて言葉だった」

会期: 2016年1月9日(土) – 2月13日(土)
会場: タカ・イシイギャラリー フォトグラフィー/フィルム
オープニング・レセプション: 1月9日(土) 18:00 – 20:00

タカ・イシイギャラリー フォトグラフィー/フィルムは、1月9日(土)から2月13日(土)まで、村越としや個展「沈黙の中身はすべて言葉だった」を開催いたします。タカ・イシイギャラリーでの2度目の個展となる本展では、2011年から2015年にかけて撮影されたパノラマサイズの作品約7点を展示いたします。パノラマサイズの作品のみで構成される展覧会は、村越にとって初めての試みとなります。

福島県須賀川市出身の村越としやは、東京に拠点をおきながら、2006年以降故郷を被写体に選び、静謐でありながら力強い風景の中に、そこで過ごした自身の記憶をなぞるように継続的に撮影を行っています。

2011年の東日本大震災は、被災地に大きな爪痕を残しただけでなく、既存の価値観や生活規範を大きく揺るがしました。震災発生後、多くの作家が東北地方を訪れ、多様な作品を通じて自らと社会を見つめ、問い直し、その問題提起を通じて様々なことが語られてきました。そのような中にあって、村越は以前と変わらず郷里の姿を丹念に観察しながらも、その眼に映るものや胸中に往来するものを言葉で説明をすることは行ってきませんでした。本展覧会のタイトルは、そうした村越の写真家としての姿勢を強く反映しています。

(……)震災と原発事故が起こったとき、今までと同じようには撮れなくなるんじゃないかと思った。何をどうしたらいいかもわからないまま、実家に帰ったのは震災から10日後だった。実家があるのは福島の中通りで、津波の被害はなく、地震で道や建物が壊れたけどほとんど変わらない風景だった。でも見た目は変わらなくてもたくさんのことが変わってしまったことはわかっていた。(……)今後、福島で写真を撮ることには、震災や原発という枕詞がついてしまう。だからまず、被災地としての福島を撮ることを試した。だけど、しっくりこない。それで自分はどうしたいんだ?そんな疑問が常に付きまとった。簡単に答えが出る訳じゃない。それなら今まで通りに福島を自分のために撮ろうと思った。目の前にあるどんなことでも、どんなものでも自分の目で見て写真に撮って考えること。その行為全てが写真なんじゃないか。地元を撮るのに意味や理由なんていらないんじゃないか。自分の行為が「写真っていうのはこういうこと」かどうかわからない。でも福島を撮っていくことが写真なのだと信じて、ぼくは撮り続ける。

村越としや、2014年5月に開催されたリフレクション展に寄せた文章より抜粋(http://reflection.mmproj.com/artists2014/toshiya-murakoshi/

協力:フォトグラファーズ・ラボラトリー

村越としやは1980年福島県須賀川市生まれ。2003年に日本写真芸術専門学校を卒業。2009年、東京・清澄白河に自主ギャラリー「TAP」を設立、2011年に日本写真協会賞新人賞、2015年には、さがみはら写真新人奨励賞を受賞。東京国立近代美術館、サンフランシスコ近代美術館に作品が所蔵されている。主な個展に、「timelessness」コニカミノルタプラザ(東京、2008年)、「uncertain」新宿ニコンサロン(東京、2009年)、「草をふむ音」福島空港(福島、2012年)、「火の粉は風に舞い上がる」武蔵野市立吉祥寺美術館(東京、2014年)など。主な写真集に、『あめふり』蒼穹舎刊(2006年)、『雪を見ていた』TAP刊(2010年)、『土の匂いと』TAP刊(2011年)、『木立を抜けて』タカ・イシイギャラリー/TAP刊(2013年)など。

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